金魚屋陶苑のルーツは、大正時代に遡ります。
生簀(いけす)で金魚や鯉を飼育し、店頭販売はもとより市内を売り子が売り歩く商売と、秋から春の時期には陶器を商っておりました。
昭和2年に当時19歳であった2代目が名古屋で陶器店に勤めていたことから、金魚屋を廃業し陶器専門店に業態を変更するも、その後も慣れ親しんだ“金魚屋さん”と呼ばれるこの個性を残そうと思い、屋号としました。
金魚屋陶苑の歴史
城下町である静岡市の中⼼街・七間町で「器を造ったひとたちの思いも伝えたい」という創業時からの思いを持って営業してきた歴史のあるお店も、時代の流れに沿って現れ出した⼤型のホームファニチャー業態や安価でそれなりのものを提供する業態などの進出をうけ、⼀般客の減少はさけられなくなり、お店は2009年(平成21年)ついに閉店しました。
しかし「歴史ある器屋(うつわや)としての遺伝子を途絶えさせたくない」という思いから、世代交代(事業継承)を経て、開業⽀援やブライダルなど贈答品を中⼼とした「プロユースのうつわ専⾨店」として営業を続けてきました。
時代の流れと金魚屋陶苑の役目
店舗としては閉じても、⼤型店の台頭とは裏腹に「⼤量⽣産や⼤量消費を⾒直す時代の流れ」が、わずかばかり漂いだしていることに気づきます。
創業時から、制作者の思いやそこにあるストーリーを⼤切にして、お客様と顔を合わせることで伝えてきました。
器を扱うプロの現場ではまだまだ「作り手の思い」や「ストーリー」の重要性は大切にされ、残っていますが、お店がなくなってしまったことで直接顔をあわせることがなくなったお客様には、伝えることができなくなってしまいました。果たして、それでいいのか・・・。
と器⾃体のもつストーリーやその奥深さなどを知ることで、世の人々はもっと精神的な豊かさを得ることができるはずです。
「これを世に伝える」ことは、金魚屋陶苑の役目と考えるようになりました。
業務利⽤される器というのは、⼤量⽣産され安価に出回るものとは⼀線を画した、たしかな趣をもちます。
⼤切にしたいのは、モノが多く消費される時代において、”気持ちが動いたモノ”と暮らすことに価値を⾒出すこと、そして昔からある知恵や習わしを知って”上質な気持ちで暮らす毎⽇”を生きていくこと。
1年で約1065回しかない⾷事と向き合う姿勢
毎日の人の営みとして⾷事は切っても切り離せない食事。
⼀⼈で⾷べる⾷事、家族や友⼈と⾷べる⾷事・・・シチュエーションはさまざまですが、この生きる楽しみとも言える食事は、1年間で実に約1065回しかありません。
これを多いととるか、限られた回数であると考えるか・・・人それぞれですが、多い、と考える場合と少ない場合と考える場合でも、いずれにせよ「大切にしなければならないこと」に気づきます。
「たくさんある」とするなら、その積み重ねは人生において大きな意味を持つことはもちろん、様々な影響や変化を生むでしょう。
「少ない」とするなら、限られた回数しか得られないこの「食の幸せ」をいい加減にしていてよいものでしょうか?
1回1回を⼤切にすることや、その⾷事と”きちんと向き合う”ことは、料理や⾷材のみにこだわればよい、というわけではないはずです。
⾷事との向き合うことはつまり「⾷への考え方や姿勢を⼤切に」すること。
そしてそれは、「器選び」から既に始まっています。
丁寧に暮らし、毎日を楽しくする「器(うつわ)」
丁寧で上質な気持ちで暮らす毎⽇というのは、なにも気難しいことを覚悟したり、堅苦しくむきあわなければならないわけではなく、「ちょっとした日常の中に目を向ける事」だったり「ちょっとした行動の変化」でだけで良かったりします。
ちょっとしたことを変えるだけで、毎⽇をうれしくて楽しい⽇々へ変わり、それは周囲の⼈たちにも伝わって、”うれしくて楽しい”が広がっていく・・・。
⼈はそれぞれに個性があり、好みも趣味も歴史も同じ⼈はいない。
その⼈にあった「出会うべくして使う⽇常の器」を。
器のコラムサイト「和器相愛 – わきあいあい 」
様々な「⼈の暮らしや営み」と「器」との関わりをテーマとして、毎⽇の暮らしのグレードを上げる器に出会うきっかけが生まれればいいなと思っています。
そんな願いをこめたコラムを中心に、器のある風景を綴る「和器相愛」をよろしくお願いします。